あたらしい憲法(けんぽう)のはなし

目次(もくじ)

  1. 憲法(けんぽう)
  2. 民主主義(みんしゅしゅぎ)とは
  3. 国際平和主義(こくさいへいわしゅぎ)
  4. 主権在民主義(しゅけんざいみんしゅぎ)
  5. 天皇陛下(てんのうへいか)
  6. 戦争(せんそう)放棄(ほうき)
  7. 基本的人権(きほんてきじんけん)
  8. 国会(こっかい)
  9. 政党(せいとう)
  10. 内閣(ないかく)
  11. 司法(しほう)
  12. 財政(ざいせい)
  13. 地方自治(ちほうじち)
  14. 改正(かいせい)
  15. 最高法規(さいこうほうき)

一  憲法(けんぽう)

みなさん、あたらしい憲法(けんぽう)ができました。そうして昭和(しょうわ)二十二(ねん)(がつ)()から、(わたし)たち日本国民(にほんこくみん)は、この憲法(けんぽう)(まも)ってゆくことになりました。このあたらしい憲法(けんぽう)をこしらえるために、たくさんの人々(ひとびと)が、たいへん苦心(くしん)をなさいました。ところでみなさんは、憲法(けんぽう)というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの()にかかわりのないことのようにおもっている(ひと)はないでしょうか。もしそうならば、それは(おお)きなまちがいです。

(くに)仕事(しごと)は、一日(いちにち)(やす)むことはできません。また、(くに)(おさ)めてゆく仕事(しごと)のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろな規則(きそく)がいるのです。この規則(きそく)はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事(だいじ)規則(きそく)憲法(けんぽう)です。

(くに)をどういうふうに(おさ)め、(くに)仕事(しごと)をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本(こんぽん)になっている規則(きそく)憲法(けんぽう)です。もしみなさんの(いえ)(はしら)がなくなったとしたらどうでしょう。(いえ)はたちまちたおれてしまうでしょう。いま(くに)(いえ)にたとえると、ちょうど(はしら)にあたるものが憲法(けんぽう)です。もし憲法(けんぽう)がなければ、(くに)(なか)におゝぜいの(ひと) がいても、どうして(くに)(おさ)めてゆくかということがわかりません。それでどこの(くに)でも、憲法(けんぽう)をいちばん大事(だいじ)規則(きそく)として、これをたいせつに(まも)ってゆくのです。(くに)でいちばん大事(だいじ)規則(きそく)は、いいかえれば、いちばん(たか)(くらい)にある規則(きそく)ですから、これを(くに)の「最高法規(さいこうほうき)」というのです。

ところがこの憲法(けんぽう)には、いまおはなししたように、(くに)仕事(しごと)のやりかたのほかに、もう(ひと)大事(だいじ)なことが()いてあるのです。それは国民(こくみん)権利(けんり)のことです。この権利(けんり)のことは、あとでくわしくおはなししますから、ここではただ、なぜそれが、(くに)仕事(しごと)のやりかたをきめた規則(きそく)(おな)じように大事(だいじ)であるか、ということだけをおはなししておきましょう。

みなさんは日本国民(にほんこくみん)のうちのひとりです。国民(こくみん)のひとりひとりが、かしこくなり、(つよ)くならなければ、国民(こくみん)ぜんたいがかしこく、また、(つよ)くなれません。(くに)(ちから)のもとは、ひとりひとりの国民(こくみん)にあります。そこで(くに)は、この国民(こくみん)のとりひとりの(ちから)をはっきりとみとめて、しっかりと(まも)ってゆくのです。そのために、国民(こくみん)のとりひとりに、いろいろ大事(だいじ)権利(けんり)があることを、憲法(けんぽう)できめているのです。この国民(こくみん)大事(だいじ)権利(けんり)のことを「基本的人権(きほんてきじんけん)」というのです。これも憲法(けんぽう)(なか)()いてあるのです。

そこでもういちど、憲法(けんぽう)とはどういうものであるかということを(もう)しておきます。憲法(けんぽう)とは、(くに)でいちばん大事(だいじ)規則(きそく)、すなわち「最高法規(さいこうほうき)」というもので、その(なか)には、だいたい(ふた)つのことが()されています。その(ひと)つは、(くに)(おさ)めかた、(くに)仕事(しごと)のやりかたをきめた規則(きそく)です。もう(ひと)つは、国民(こくみん)のいちばん大事(だいじ)権利(けんり)(すなわ)ち「基本的人権(きほんてきじんけん)」をきめた規則(きそく)です。このほかにまた憲法(けんぽう)は、その必要(ひつよう)により、いろいろのことをきめることがあります。こんどの憲法(けんぽう)にも、あとでおはなしするように、これからは戦争(せんそう)をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。

これまであった憲法(けんぽう)は、明治(めいじ)二十二(ねん)にできたもので、これは明治天皇(めいじてんのう)がおつくりになって、国民(こくみん)にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法(けんぽう)は、日本国民(にほんこくみん)がじぶんでつくったもので、日本国民(にほんこくみん)のぜんたいの意見(いけん)で、自由(じゆう)につくられたものであります。この国民(こくみん)ぜんたいの意見(いけん)()るために、昭和(しょうわ)二十一(ねん)(がつ)()総選挙(そうせんきょ)(おこな)われ、あたらしい国民(こくみん)代表(だいひょう)がえらばれて、その人々(ひとびと)がこの憲法(けんぽう)をつくったのです。それで、あたらしい憲法(けんぽう)は、国民(こくみん)ぜんたいでつくったということになるのです。

みなさんも日本国民(にほんこくみん)のひとりです。そうすれば、この憲法(けんぽう)は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事(だいじ)になさるでしょう。こんどの憲法(けんぽう)はみなさんをふくめた国民(こくみん)ぜんたいのつくったものであり、(くに)でいちばん大事(だいじ)規則(きそく)であるとするならば、みなさんは、国民(こくみん)のひとりとして、しっかりとこの憲法(けんぽう)(まも)ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法(けんぽう)に、どういうことが()いてあるかを、はっきりと()らなければなりません。

みなさんが、(なに)かゲームのために規則(きそく)のようなものをきめるときに、みんないっしょに()いてしまっては、わかりにくいでしょう。(くに)規則(きそく)もそれと(おな)じで、(ひと)(ひと)事柄(ことがら)にしたがって分けて()き、それに番号(ばんごう)をつけて、第何条(だいなんじょう)第何条(だいなんじょう)というように順々(じゅんじゅん)()します。こんどの憲法(けんぽう)は、第一条(だいいちじょう)から第百三条(だいひゃくさんじょう)まであります。そうしてそのほかに、前書(まえがき)が、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文(ぜんぶん)」といいます。

この前文(ぜんぶん)には、だれがこの憲法(けんぽう)をつくったかということや、どんな(かんが)えでこの憲法(けんぽう)規則(きそく)ができているかということなどが()されています。この前文(ぜんぶん)というものは、(ふた)つのはたらきをするのです。その(ひと)つは、みなさんが憲法(けんぽう)をよんで、その意味(いみ)()ろうとするときに、()びきになることです。つまりこんどの憲法(けんぽう)は、その前文(ぜんぶん)()されたような(かんが)えからできたものですから、前文(ぜんぶん)にある(かんが)えと、ちがったふうに(かんが)えてはならないということです。もう(ひと)つのはたらきは、これからさき、この憲法(けんぽう)をかえるときに、この前文(ぜんぶん)()された(かんが)(かた)と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。

それなら、この前文(ぜんぶん)(かんが)えというのはなんでしょう。いちばん大事(だいじ)(かんが)えが(みっ)つあります。それは「民主主義(みんしゅしゅぎ)」と「国際平和主義(こくさいへいわしゅぎ)」と「主権在民主義(しゅけんざいみんしゅぎ)」です。「主義(しゅぎ)」という言葉(ことば)をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、(すこ)しもむずかしく(かんが)えることはありません。主義(しゅぎ)というのは、(ただ)しいと(おも)う、もののやりかたのことです。それでみなさんは、この(みっ)つのことを()らなければなりません。まず「民主主義(みんしゅしゅぎ)」からおはなししましょう。

二  民主主義(みんしゅしゅぎ)

こんどの憲法(けんぽう)根本(こんぽん)となっている(かんが)えの第一(だいいち)民主主義(みんしゅしゅぎ)です。ところで民主主義(みんしゅしゅぎ)とは、いったいどういうことでしょう。みなさんはこのことばを、ほうぼうできいたことでしょう。これがあたらしい憲法(けんぽう)根本(こんぽん)になっているものとすれば、みなさんははっきりとこれを()っておかなければなりません。しかも(ただ)しく()っておかなければなりません。

みなさんがおおぜいあつまって、いっしょに(なに)かするときのことを(かんが)えてごらんなさい。だれの意見(いけん)物事(ものごと)をきめますか。もしもみんなの意見(いけん)(おな)じなら、もんだいはありません。もし意見(いけん)が分かれたときは、どうしますか。ひとりの意見(いけん)できめますか。二人(ふたり)意見(いけん)できめますか。それともおおぜいの意見(いけん)できめますか。どれがよいでしょう。ひとりの意見(いけん)が、(ただ)しくすぐれていておおぜいの意見(いけん)が、まちがっておとっていることもあります。しかし、そのはんたいのことがもっとも(おお)いでしょう。そこで、まずみんなが十分(じゅうぶん)にじぶんの(かんが)えをはなしあったあとで、おおぜいの意見(いけん)で、物事(ものごと)をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。

そうして、あとの(ひと)は、このおおぜいの(ひと)意見(いけん)にすなおにしたがってゆくのがよいのです。このなるべくおおぜいの(ひと)意見(いけん)で、物事(ものごと)をきめてゆくことが、民主主義(みんしゅしゅぎ)のやりかたです。

(くに)(おさ)めてゆくのもこれと(おな)じです。わずかの(ひと)意見(いけん)(くに)(おさ)めてゆくのは、よくないのです。国民(こくみん)ぜんたいの意見(いけん)で、(くに)(おさ)めてゆくのがいちばんよいのです。

つまり国民(こくみん)ぜんたいが、(くに)(おさ)めてゆく----これが民主主義(みんしゅしゅぎ)(おさ)めかたです。

しかし(くに)は、みなさんの学級(がっきゅう)とはちがいます。国民(こくみん)ぜんたいがひとところにあつまって、そうだんすることはできません。ひとりひとりの意見(いけん)を、きいてまわることもできません。そこで、みんなの()わりになって、(くに)仕事(しごと)のやりかたをきめるものがなければなりません。それが国会(こっかい) です。国民(こくみん)が、国会(こっかい)議員(ぎいん)選挙(せんきょ)するのは、じぶんの()わりになって、(くに)(おさ)めてゆく(もの)をえらぶのです。だから国会(こっかい)では、なんでも国民(こくみん)()わりである議員(ぎいん)のおおぜいの意見(いけん)物事(ものごと)をきめます。そうしてほかの議員(ぎいん)は、これにしたがいます。これが国民(こくみん)ぜんたいの意見(いけん)物事(ものごと)をきめたことになるのです。これが民主主義(みんしゅしゅぎ)です。ですから、民主主義(みんしゅしゅぎ)とは、国民(こくみん)ぜんたいで、(くに)(おさ)めてゆくことです。みんなの意見(いけん)物事(ものごと)をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。だから民主主義(みんしゅしゅぎ)(くに)(おさ)めてゆけば、みなさんは幸福(こうふく)になり、また(くに)もさかえてゆくのでしょう。

(くに)は大きいので、このように(くに)仕事(しごと)国会(こっかい)議員(ぎいん)にまかせてきめてゆきますから、国会(こっかい)国民(こくみん)()わりになるものです。この「()わりになる」ということを、「代表(だいひょう)」といいます。まえに(もう)しましたように、民主主義(みんしゅしゅぎ)は、国民(こくみん)ぜんたいで(くに)(おさ)めてゆくことですが、国会(こっかい)国民(こくみん)ぜんたいを代表して、(くに)のことをきめてゆきますから、これを「代表制民主主義(だいひょうせいみんしゅしゅぎ)」のやりかたといいます。

しかしいちばん大事(だいじ)なことは、国会(こっかい)にまかせておかないで、国民(こくみん)が、じぶんで意見(いけん)をきめることがあります。こんどの憲法(けんぽう)でも、たとえばこの憲法(けんぽう)をかえるときは、国会(こっかい)だけできめないで、国民(こくみん)ひとりひとりが、賛成(さんせい)反対(はんたい)かを投票(とうひょう)してきめることになっています。このときは、国民(こくみん)直接(ちょくせつ)(くに)のことをきめますから、これを「直接民主主義(ちょくせつみんしゅしゅぎ)」のやりかたといいます。あたらしい憲法(けんぽう)は、代表制民主主義(だいひょうせいみんしゅしゅぎ)直接民主主義(ちょくせつみんしゅしゅぎ)と、(ふた)つのやりかたで(くに)(おさ)めてゆくことにしていますが、代表制民主主義(だいひょうせいみんしゅしゅぎ)のやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義(ちょくせつみんしゅしゅぎ)のやりかたは、いちばん大事(だいじ)なことにかぎられているのです。だからこんどの憲法(けんぽう)は、だいたい代表制民主主義(だいひょうせいみんしゅしゅぎ)のやりかたになっているといってもよいのです。

みなさんは日本国民(こくみん)のひとりです。しかしまだこどもです。(くに)のことは、みなさんが二十歳(にじゅっさい)になって、はじめてきめてゆくことができるのです。国会(こっかい)議員(ぎいん)をえらぶのも、(くに)のことについて投票(とうひょう)するのも、みなさんが二十歳(にじゅっさい)になって、はじめてできることです。みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上(にじゅっさいいじょう)(かた)もおいででしょう。そのおにいさんやおねえさんが、選挙(せんきょ)投票(とうひょう)にゆかれるのをみて、みなさんはどんな()がしましたか。いまのうちに、よく勉強(べんきょう)して、(くに)(おさ)めることや憲法(けんぽう)のことなどを、よく()っておいてください。もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、(くに)のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。みなさんの(かんが)えとはたらきで(くに)(おさ)まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じぶんの(くに)のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。これが民主主義(みんしゅしゅぎ)というものです。

三  国際平和主義(こくさいへいわしゅぎ)

(くに)(なか)で、国民(こくみん)ぜんたいで、物事(ものごと)をきめてゆくことを、民主主義(みんしゅしゅぎ)といいましたが、国民(こくみん)意見(いけん)は、(ひと)によってずいぶんちがっています。しかし、おおぜいのほうの意見(いけん)にすなおにしたがってゆき、またそのおおぜいのほうも、すくないほうの意見(いけん)をよくきいてじぶんの意見(いけん)をきめ、みんなが、なかよく(くに)仕事(しごと)をやってゆくのでなければ、民主主義(みんしゅしゅぎ)のやりかたは、なりたたないのです。

これは、(ひと)つの(くに)について(もう)しましたが、(くに)(くに)との(あいだ)のことも(おな)じことです。じぶんの(くに)のことばかり(かんが)え、じぶんの(くに)のためばかりを(かんが)えて、ほかの(くに)の立場を(かんが)えないでは、世界中(せかいじゅう)(くに)が、なかよくしていくことはできません。世界中(せかいじゅう)(くに)が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、国際平和主義(こくさいへいわしゅぎ)といいます。だから民主主義(みんしゅしゅぎ)ということは、この国際平和主義(こくさいへいわしゅぎ)と、たいへんふかい関係(かんけい)があるのです。こんどの憲法(けんぽう)で、民主主義(みんしゅしゅぎ)のやりかたをきめたからには、またほかの(くに)にたいしても、国際平和主義(こくさいへいわしゅぎ)でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。

この国際平和主義(こくさいへいわしゅぎ)をわすれて、じぶんの(くに)のことばかり(かんが)えていたので、とうとう戦争(せんそう)をはじめてしまったのです。そこであたらしい憲法(けんぽう)では、前文の(なか)にこれからは、この国際平和主義(こくさいへいわしゅぎ)でやってゆくということを、力強(ちからづよい)いことばで()いてあります。またこの(かんが)えが、あとでのべる戦争(せんそう)放棄(ほうき)、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。

四  主権在民主義(しゅけんざいみんしゅぎ)

みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。いったい、「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう、勉強(べんきょう)のよくできることでしょうか。それとも(ちから)(つよ)いことでしょうか。いろいろきめかたがあってむずかしいことです。

(くに)では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし(くに)仕事(しごと)が、ひとりの(かんが)えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。もしおおぜいの(かんが)えできまるなら、そのおおぜいが、いちばんえらいことになります。もし国民(こくみん)ぜんたいの(かんが)えできまるならば、国民(こくみん)ぜんたいが、いちばんえらいのです。こんどの憲法(けんぽう)は、民主主義(みんしゅしゅぎ)憲法(けんぽう)ですから、国民(こくみん)ぜんたいの(かんが)えで(くに)(おさ)めてゆきます。そうすると、国民(こくみん)ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。

(くに)(おさ)めてゆく(ちから)のことを「主権(しゅけん)」といいますが、この(ちから)国民(こくみん)ぜんたいにあれば、これを「主権(しゅけん)国民(こくみん)にある」といいます。こんどの憲法(けんぽう)は、いま(もう)したように、民主主義(みんしゅしゅぎ)根本(こんぽん)(かんが)えとしていますから、主権(しゅけん)はとうぜん日本国民(にほんこくみん)にあるわけです。そこで前文(ぜんぶん)(なか)にも、また憲法(けんぽう)第一条(だいいちじょう)にも「主権(しゅけん)国民(こくみん)(そん)する」と、はっきりかいてあるのです。主権(しゅけん)国民(こくみん)にあることを「主権在民(しゅけんざいみん)」といいます。あたらしい憲法(けんぽう)は、主権在民(しゅけんざいみん)という(かんが)えでできていますから、主権在民主義(しゅけんざいみんしゅぎ)憲法(けんぽう)であるということになるのです。

みなさんは、日本国民(にほんこくみん)のひとりです。主権(しゅけん)をもっている日本国民(にほんこくみん)のひとりです。しかし、主権(しゅけん)日本国民(にほんこくみん)ぜんたいにあるのです。ひとりひとりが、べつべつにもっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがいちばんえらいと(おも)って、勝手(かって)なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義(みんしゅしゅぎ)にあわないことになります。みなさんは、主権(しゅけん)をもっている日本国民(にほんこくみん)のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任(せきにん)(かん)じなければなりません。よいこどもであるとともに、よい国民(こくみん)でなければなりません。

五  天皇陛下(てんのうへいか)

こんどの戦争(せんそう)で、天皇陛下(てんのうへいか)は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、(ふる)憲法(けんぽう)では、天皇(てんのう)をお(たす)けして(くに)仕事(しごと)をした人々(ひとびと)は、国民(こくみん)ぜんたいがえらんだものではなかったので、国民(こくみん)(かんが)えとはなれて、とうとう戦争(せんそう)になったからです。そこで、これからさき(くに)(おさ)めてゆくについて、二度(にど)とこのようなことのないように、あたらしい憲法(けんぽう)をこしらえるとき、たいへん苦心(くしん)をいたしました。ですから、天皇(てんのう)は、憲法(けんぽう)(さだ)めたお仕事(しごと)だけをされ、政治(せいじ)には関係(かんけい)されないことになりました。

憲法(けんぽう)は、天皇陛下(てんのうへいか)を、「象徴(しょうちょう)」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴(しょうちょう)ということを、はっきりしらなければなりません。()(まる)国旗(こっき)()れば、日本(にほん)(くに)をおもいだすでしょう。国旗(こっき)(くに)()わりになって、(くに)をあらわすからです。みなさんの学校(がっこう)記章(きしょう)()れば、どこの学校(がっこう)生徒(せいと)かがわかるでしょう。記章(きしょう)学校(がっこう)()わりになって。学校(がっこう)をあらわすからです。いまここに(なに)()()えるものがあって、ほかの()()えないものの()わりになって、それをあらわすときに、これを「象徴(しょうちょう)」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法(けんぽう)(だい)(じょう)は、天皇陛下(てんのうへいか)を「日本国の象徴(しょうちょう)」としているのです。つまり天皇陛下(てんのうへいか)は、日本(にほん)(くに)をあらわされるお(かた)ということであります。

また憲法第一条(けんぽうだいいちじょう)は、天皇陛下(てんのうへいか)を、「日本国民統合(にほんこくみんとうごう)象徴(しょうちょう)」であるとも()いてあるのです。「統合(とうごう)」というのは「(ひと)つにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下(てんのうへいか)は、(ひと)つにまとまった日本国民(こくみん)象徴(しょうちょう)でいらっしゃいます。これは、(わたし)たち日本国民(にほんこくみん)ぜんたいの中心(ちゅうしん)としておいでになるお(かた)ということなのです。それで天皇陛下(てんのうへいか)は、国民(こくみん)ぜんたいをあらわされるのです。

このような地位(ちい)天皇陛下(てんのうへいか)をお()(もう)したのは、日本国民(にほんこくみん)ぜんたいの(かんが)えにあるのです。これからさき、(くに)(おさ)めてゆく仕事(しごと)は、みな国民(こくみん)がじぶんでやってゆかなければなりません。天皇陛下(てんのうへいか)は、けっして神様(かみさま)ではありません。国民(こくみん)(おな)じような人間(にんげん)でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。(ちい)さな(まち)のすみにもおいでになりました。ですから(わたし)たちは、天皇陛下(てんのうへいか)(わたし)たちのまん(なか)にしっかりとお()きして、(くに)(おさ)めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法(けんぽう)が、天皇陛下(てんのうへいか)象徴(しょうちょう)とした意味(いみ)がおわかりでしょう。

六  戦争(せんそう)放棄(ほうき)

みなさんの(なか)には、今度(こんど)戦争(せんそう)に、おとうさんやにいさんを(おく)りだされた(ひと)(おお)いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、(いえ)やうちの(ひと)を、なくされた(ひと)(おお)いでしょう。いまやっと戦争(せんそう)はおわりました。二度(にど)とこんなおそろしい、かなしい(おも)いをしたくないと(おも)いませんか。こんな戦争(せんそう)をして、日本(にほん)(くに)はどんな利益(りえき)があったでしょうか。(なに)もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争(せんそう)人間(にんげん)をほろぼすことです。()(なか)のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争(せんそう)をしかけた(くに)には、(おお)きな責任(せきにん)があるといわなければなりません。このまえの世界戦争(せかいせんそう)のあとでも、もう戦争(せんそう)二度(にど)とやるまいと、(おお)くの国々(くにぐに)ではいろいろ(かんが)えましたが、またこんな大戦争(だいせんそう)をおこしてしまったのは、まことに残念(ざんねん)なことではありませんか。

そこでこんどの憲法(けんぽう)では、日本(にほん)(くに)が、けっして二度(にど)戦争(せんそう)をしないように、(ふた)つのことをきめました。その(ひと)つは、兵隊(へいたい)軍艦(ぐんかん)飛行機(ひこうき)も、およそ戦争(せんそう)をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本(にほん)には、陸軍(りくぐん)海軍(かいぐん)空軍(くうぐん)もないのです。これを戦力(せんりょく)放棄(ほうき)といいます。「放棄(ほうき)」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして(こころ)ぼそく(おも)うことはありません。日本(にほん)(ただ)しいことを、ほかの(くに)よりさきに行ったのです。()(なか)に、(ただ)しいことぐらい(つよ)いものはありません。

もう(ひと)つは、よその(くに)(あらそ)いごとがおこったとき、けっして戦争(せんそう)によって、相手(あいて)をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの(くに)をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争(せんそう)とまでゆかずとも、(くに)(ちから)で、相手(あいて)をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争(せんそう)放棄(ほうき)というのです。そうしてよその(くに)となかよくして、世界中(せいかいじゅう)(くに)が、よい(とも)だちになってくれるようにすれば、日本(にほん)(くに)は、さかえてゆけるのです。

みなさん、あのおそろしい戦争(せんそう)が、二度(にど)()こらないように、また戦争(せんそう)二度(にど)とおこさないようにいたしましょう。

七  基本的人権(きほんてきじんけん)

くうしゅうでやけたところへ()ってごらんなさい。やけただれた(つち)から、もう(くさ)青々(あおあお)とはえています。みんな()()きとしげっています。(くさ)でさえも、(ちから)(つよ)()きてゆくのです。ましてやみなさんは人間(にんげん)です。()きてゆく(ちから)があるはずです。(てん)からさずかったしぜんの(ちから)があるのです。この(ちから)によって、人間(にんげん)()(なか)()きてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。しかし人間(にんげん)は、草木(くさき)とちがって、ただ()きてゆくというだけではなく、人間(にんげん)らしい生活(せいかつ)をしてゆかなければなりません。この人間(にんげん)らしい生活(せいかつ)には必要(ひつよう)なものが(ふた)つあります。それは「自由(じゆう)」ということと、「平等(びょうどう)」ということです。

人間(にんげん)がこの()()きてゆくからには、じぶんのすきな(ところ)()み、自分(じぶん)のすきな(ところ)()き、じぶんの(おも)うことをいい、じぶんのすきな(おし)えにしたがってゆけることなどが必要(ひつよう)です。これらのことが人間(にんげん)自由(じゆう)であって、この自由(じゆう)は、けっしてうばわれてはなりません。また(くに)(ちから)でこの自由(じゆう)()りあげ、やたらに刑罰(けいばつ)(くわ)えたりしてはなりません。そこで憲法(けんぽう)は、この自由(じゆう)は、けっして(おか)すことのできないものであることをきめているのです。

またわれわれは、人間(にんげん)である以上(いじょう)はみな(おな)じです。人間(にんげん)の上に、もっとえらい人間(にんげん)があるはずはなく、人間(にんげん)(した)に、もっといやしい人間(にんげん)があるわけはありません。(おとこ)(おんな)よりもすぐれ、(おんな)(おとこ)よりもおとっているということもありません。みな(おな)人間(にんげん)であるならば、この()()きてゆくのに、差別(さべつ)()ける理由(りゆう)はないのです。差別(さべつ)のないことを「平等(びょうどう)」といいます。そこで憲法(けんぽう)は、自由(じゆう)といっしょに、この平等(びょうどう)ということをきめているのです。

(くに)規則(きそく)の上で、(なに)かはっきりとできることがみとめられていることを、「権利(けんり)」といいます。自由(じゆう)平等(びょうどう)とがはっきりみとめられ、これを(おか)されないとするならば、この自由(じゆう)平等(びょうどう)はみなさんの権利(けんり)です。これを「自由権(じゆうけん)」というのです。しかもこれは人間(にんげん)のいちばん大事(だいじ)権利(けんり)です。このいちばん大事(だいじ)人間(にんげん)権利(けんり)のことを、「基本的人権(きほんてきじんけん)」といいます。あたらしい憲法(けんぽう)は、この基本的人権(きほんてきじんけん)を、(おか)すことのできない永久(えいきゅう)(あた)えられた権利(けんり)として()しているのです。これを基本的人権(きほんてきじんけん)を「保障(ほしょう)する」というのです。

しかし基本的人権(きほんてきじんけん)は、こゝにいった自由権(じゆうけん)だけではありません。まだほかに(ふた)つあります。自由権(じゆうけん)だけで、人間(にんげん)(くに)(なか)での生活(せいかつ)がすむものではありません。たとえばみなさんは、勉強(べんきょう)をしてよい国民(こくみん)にならなければなりません。(くに)はみなさんに勉強(べんきょう)をさせるようにしなければなりません。そこでみなさんは、教育(きょういく)()ける権利(けんり)憲法(けんぽう)(あた)えられているのです。この場合(ばあい)はみなさんのほうから、(くに)にたいして、教育(きょういく)をしてもらうことを請求(せいきゅう)できるのです。これも大事(だいじ)基本的(きほんてき)人権(じんけん)ですが、これを「請求権(せいきゅうけん)」というのです。争いごとがおこったとき、(くに)裁判所(さいばんしょ)で、公平(こうへい)にさばいてもらうのも、裁判(さいばん)請求(せいきゅう)する権利(けんり)といって、基本的人権(きほんてきじんけん)ですが、これも請求権(せいきゅうけん)であります。 それからまた、国民(こくみん)が、(くに)(おさ)めることにいろいろ関係(かんけい)できるのも、大事(だいじ)基本的人権(きほんてきじんけん)ですが、これを「参政権(さんせいけん)」といいます。国会(こっかい)議員(ぎいん)知事(ちじ)市町村長(しちょうそんちょう)などを選挙(せんきょ)したり、じぶんがそういうものになったり、(くに)や地方の大事(だいじ)なことについて投票(とうひょう)したりすることは、みな参政権(さんせいけん)です。

みなさん、いままで(もう)しました基本的人権(きほんてきじんけん)大事(だいじ)なことですから、もういちど復習(ふくしゅう)いたしましょう。みなさんは、憲法(けんぽう)基本的人権(きほんてきじんけん)というりっぱな(つよ)権利(けんり)(あた)えられました。この権利(けんり)(みっ)つに分かれます。(だい)一は自由権(じゆうけん)です。(だい)二は請求(せいきゅう)権です。(だい)三は参政権(さんせいけん)です。

こんなりっぱな権利(けんり)(あた)えられましたからには、みなさんは、じぶんでしっかりとこれを(まも)って、失わないようにしてゆかなければなりません。しかしまた、むやみにこれをふりまわして、ほかの(ひと)に迷惑をかけてはいけません。ほかの(ひと)も、みなさんと(おな)権利(けんり)をもっていることとを、わすれてはなりません。(くに)ぜんたいの幸福(こうふく)になるよう、この大事(だいじ)基本的人権(きほんてきじんけん)(まも)ってゆく責任(せきにん)があると、憲法(けんぽう)()いてあります。

八  国会(こっかい)

民主主義(みんしゅしゅぎ)は、国民(こくみん)が、みんなでみんなのために(くに)(おさ)めてゆくことです。しかし国民(こくみん)(かず)はたいへん(おお)いのですから、だれかが、国民(こくみん)ぜんたいに()わって(くに)仕事(しごと)をするよりほかはありません。この国民(こくみん)()わるものが「国会(こっかい)」です。まえにも(もう)しましたように、国民(こくみん)(くに)(おさ)めてゆく(ちから)、すなわち主権(しゅけん)をもっているのです。この主権(しゅけん)をもっている国民(こくみん)()わるものが国会(こっかい)ですから、国会(こっかい)(くに)でいちばん(たか)(くらい)にあるもので、これを「最高機関(さいこうきかん)」といいます。「機関(きかん)」というのは、ちょうど人間(にんげん)手足(てあし)があるように、(くに)仕事(しごと)をいろいろ分けてする役目(やくめ)のあるものという意味(いみ)です。(くに)には、いろいろなはたらきをする機関(きかん)があります、あとでのべる内閣(ないかく)も、裁判所(さいばんしょ)も、みな(くに)機関(きかん)です。しかし国会(こっかい)は、その(なか)でいちばん(たか)(くらい)にあるのです。それは国民(こくみん)ぜんたいを代表(だいひょう)しているからです。

(くに)仕事(しごと)はたいへん(おお)いのですが、これを分けてみると、だいたい(みっ)つに分かれるのです。その(だい)一は、(くに)のいろいろの規則(きそく)をこしらえる仕事(しごと)で、これを「立法(りっぽう)」というのです。(だい)二は、(あらそ)いごとをさばいたり、(つみ)があるかないかをきめる仕事(しごと)で、これを「司法(しほう)」というのです。ふつうに裁判(さいばん)といっているのはこれです。(だい)三は、この「立法(りっぽう)」と「司法(しほう)」とをのぞいたいろいろの仕事(しごと)で、これをひとまとめにして「行政(ぎょうせい)」といいます。国会(こっかい)は、この(みっ)つのうち、どれをするかといえば、立法(りっぽう)をうけもっている機関(きかん)であります。司法(しほう)は、裁判所(さいばんしょ)がうけもっています。行政(ぎょうせい)は、内閣(ないかく)とその(した)にある、たくさんの役所(やくしょ)がうけもっています。

国会(こっかい)は、立法(りっぽう)という仕事(しごと)をうけもっていますから、(くに)規則(きそく)はみな国会(こっかい)がこしらえるのです。国会(こっかい)のこしらえる(くに)規則(きそく)を「法律(ほうりつ)」といいます。みなさんは、法律(ほうりつ)ということばをよくきくことがあるでしょう。しかし、国会(こっかい)法律(ほうりつ)をこしらえるのには、いろいろと()つづきがいりますから、あまりこまごました規則(きそく)までこしらえることはできません。そこで憲法(けんぽう)は、ある場合(ばあい)には、国会(こっかい)でないほかの機関(きかん)、たとえば内閣(ないかく)が、(くに)規則(きそく)をこしらえることをゆるしています。これを「命令(めいれい)」といいます。

しかし、(くに)規則(きそく)は、なるべく国会(こっかい)でこしらえるのがよいのです。なぜならば、国会(こっかい)は、国民(こくみん)がえらんだ議員(ぎいん)のあつまりで、国民(こくみん)意見(いけん)がいちばんよくわかっているからです。。そこで、あたらしい憲法(けんぽう)は、(くに)規則(きそく)は、ただ国会(こっかい)だけがこしらえるということにしました。これを、「国会(こっかい)唯一(ゆいつ)立法機関(りっぽうきかん)である」というのです。「唯一(ゆいつ)」とは、ただ(ひと)つで、ほかにはないということです。立法機関(りっぽうきかん)とは、(くに)規則(きそく)をこしらえる役目(やくめ)のある機関(きかん)ということです。そうして、国会以外(こっかいいがい)のほかの機関(きかん)が、(くに)規則(きそく)をこしらえてもよい場合(ばあい)は、憲法(けんぽう)で、(ひと)(ひと)つきめているのです。また、国会(こっかい)のこしらえた(くに)規則(きそく)、すなわち法律(ほうりつ)(なか)で、これこれのことは命令(めいれい)できめてもよろしいとゆるすこともあります。国民(こくみん)のえらんだ代表者(だいひょうしゃ)が、国会(こっかい)国民(こくみん)(おさ)める規則(きそく)をこしらえる、これが民主主義(みんしゅしゅぎ)のたてまえであります。

しかし国会(こっかい)には、(くに)規則(きそく)をこしらえることのほかに、もう(ひと)大事(だいじ)役目(やくめ)があります。それは、内閣(ないかく)や、その下にある、(くに)のいろいろな役所(やくしょ)仕事(しごと)のやりかたを、監督(かんとく)することです。これらの役所(やくしょ)仕事(しごと)は、まえに(もう)しました「行政(ぎょうせい)」というはたらきですから、国会(こっかい)は、行政(ぎょうせい)監督(かんとく)して、まちがいのないようにする役目(やくめ)をしているのです。これで、国民(こくみん)代表者(だいひょうしゃ)(くに)仕事(しごと)(くに)仕事(しごと)()はっていることになるのです。これも民主主義(みんしゅしゅぎ)(くに)(おさ)めかたであります。

日本の国会(こっかい)は、「衆議院(しゅうぎいん)」と「参議院(さんぎいん)」との(ふた)つからできています。その(ひと)(ひと)つを「議院(ぎいん)」といいます。このように、国会(こっかい)(ふた)つの議院(ぎいん)からできているものを「二院制度(いんせいど)」というのです。(くに)によっては、(ひと)つの議院(ぎいん)しかないのもあり、これを「一院制度(いんせいど)」というのです。しかし、(おお)くの(くに)国会(こっかい)は、(ふた)つの議院(ぎいん)からできています。(くに)仕事(しごと)はこの(ふた)つの議院(ぎいん)がいっしょにきめるのです。

なぜ(ふた)つの議院(ぎいん)がいるのでしょう。みなさんは、野球(やきゅう)や、そのほかのスポーツでいう、「バック・アップ」ということをごぞんじですか。一人(ひとり)選手(せんしゅ)(たま)()りあつかっているとき、もう一人(ひとり)選手(せんしゅ)が、うしろにまわって、まちがいのないように(まも)ることを、「バック・アップ」といいます。国会(こっかい)は、(くに)大事(だいじ)仕事(しごと)をするのですから、衆議院(しゅうぎいん)だけでは、まちがいが()こるといけないから、参議院(さんぎいん)が「バック・アップ」するはたらきをするのです。ただし、スポーツのほうでは、選手(せんしゅ)がおたがいに「バック・アップ」しますけれども、国会(こっかい)では、おもなはたらきをするのは衆議院(しゅうぎいん)であって、参議院(さんぎいん)は、ただ衆議院(しゅうぎいん)を「バック・アップ」するだけのはたらきをするのです。したがって、衆議院(しゅうぎいん)のほうが、参議院(さんぎいん)よりも、(つよ)(ちから)(あた)えられているのです。この(つよ)(ちから)をもった衆議院(しゅうぎいん)を「第一院(だいいちいん)」といい、参議院(さんぎいん)を「第二院(だいにいん)」といいます。なぜ衆議院(しゅうぎいん)のほうに(つよ)(ちから)があるのでしょう。そのわけは(つぎ)のとおりです。

衆議院(しゅうぎいん)選挙(せんきょ)は、四(ねん)ごとに行われます。衆議院(しゅうぎいん)議員(ぎいん)は、四(ねん)つとめるわけです。しかし、衆議院(しゅうぎいん)(かんが)えが国民(こくみん)(かんが)えを(ただ)しくあらわしていないと内閣(ないかく)(かんが)えたときなどには、内閣(ないかく)は、国民(こくみん)意見(いけん)()るために、いつでも天皇陛下(てんのうへいか)(もう)しあげて、衆議院(しゅうぎいん)選挙(せんきょ)のやりなおしをしていただくことができます。これを衆議院(しゅうぎいん)の「解散(かいさん)」というのです。そうして、この解散(かいさん)のあとの選挙(せんきょ)で、国民(こくみん)がどういう(ひと)をじぶんの代表(だいひょう)にえらぶかということによって、国民(こくみん)のあたらしい意見(いけん)が、あたらしい衆議院(しゅうぎいん)にあらわれてくるのです。

参議院(さんぎいん)のほうは、議員(ぎいん)が六年間(ねんかん)つとめることになっており、三(ねん)ごとに半分(はんぶん)ずつ選挙(せんきょ)をして交代(こうたい)しますけれども、衆議院(しゅうぎいん)のように解散(かいさん)ということがありません。そうしてみると、衆議院(しゅうぎいん)のほうが、参議院(さんぎいん)よりも、その時、その時の国民(こくみん)意見(いけん)を、よくうつしているといわなければなりません。そこで衆議院(しゅうぎいん)のほうに参議院(さんぎいん)よりも(つよ)(ちから)(あた)えられているのです。どういうふうに衆議院(しゅうぎいん)(ほう)(つよ)(ちから)をもっているかということは、憲法(けんぽう)できめられていますが、ひと(くち)でいうと、衆議院(しゅうぎいん)参議院(さんぎいん)との意見(いけん)がちがったときには、衆議院(しゅうぎいん)のほうの意見(いけん)がとおるようになっているということです。

しかし衆議院(しゅうぎいん)参議院(さんぎいん)も、ともに国民(こくみん)ぜんたいの代表者(だいひょうしゃ)ですから、その議員(ぎいん)は、みな国民(こくみん)国民(こくみん)(なか)からえらぶのです。衆議院(しゅうぎいん)のほうは、議員(ぎいん)が四百六十六(にん)参議院(さんぎいん)のほうは二百五十(にん)あります。この議員(ぎいん)をえらぶために、(くに)を「選挙区(せんきょく)」というものに分けて、この選挙区(せんきょく)に、人口(じんこう)にしたがって議員(ぎいん)(かず)をわりあてます。したがって選挙(せんきょ)は、この選挙区(せんきょく)ごとにわりあてられた(かず)だけの議員(ぎいん)をえらんで()すことになります。

議員(ぎいん)選挙(せんきょ)するには、選挙(せんきょ)()投票所(とうひょうしょ)()き、投票用紙(とうひょうようし)()()り、じぶんのよいと(おも)(ひと)名前(なまえ)()きます。それから、その(かみ)()り、(かぎ)のかかった投票箱(とうひょうばこ)()れるのです。この投票(とうひょう)はひじょうに大事(だいじ)権利(けんり)です。選挙(せんきょ)する(ひと)は、みなじぶんの(かんが)えでだれに投票(とうひょう)するかをきめなければなりません。けっして、品物(しなもの)利益(りえき)になる約束(やくそく)()()せられてはなりません。この投票(とうひょう)は、秘密投票(ひみつとうひょう)といって、だれをえらんだかをいう義務(ぎむ)もなく、ある(ひと)をえらんだ理由(りゆう)()われても(こた)える必要(ひつよう)はありません。 さて日本国民(にほんこくみん)は、二十歳以上(さいいじょう)(ひと)は、だれでも国会議員(こっかいぎいん)知事市長(ちじしよう)などを選挙(せんきょ)することができます。これを「選挙権(せんきょけん)」というのです。わが(くに)では、ながいあいだ、(おとこ)だけがこの選挙権(せんきょけん)をもっていました。また、財産(ざいさん)をもっていて税金(ぜいきん)をおさめる(ひと)だけが、選挙権(せんきょけん)をもっていたこともありました。いまは、民主主義(みんしゅしゅぎ)のやりかたで(くに)(おさ)めてゆくのですから、二十歳以上(さいいじょう)(ひと)は、(おとこ)(おんな)もみんな選挙権(せんきょけん)をもっています。このように、国民(こくみん)がみな選挙権(せんきょけん)をもつことを「普通選挙(ふつうせんきょ)」といいます。こんどの憲法(けんぽう)は、この普通選挙(ふつうせんきょ)を、国民(こくみん)大事(だいじ)基本的人権(きほんてきじんけん)としてみとめているのです。男女人種(だんじょじんしゅ)区別(くべつ)もなく、宗教(しゅうきょう)財産(ざいさん)(うえ)区別(くべつ)もなく、みんながひとしく選挙権(せんきょけん)をもっているのです。

また日本国民(こくみん)は、だれでも国会(こっかい)議員(ぎいん)になることができます。(おとこ)(おんな)もみな議員(ぎいん)になれるのです。これを「被選挙権(ひせんきょけん)」といいます。しかし、年齢(ねんれい)が、選挙権(せんきょけん)のときと(すこ)しちがいます。衆議院議員(しゅうぎいんぎいん)になるには、二十五歳以上(さいいじょう)参議院議員(さんぎいんぎいん)になるには、三十歳以上(さいいじょう)でなければなりません。この被選挙権(ひせんきょけん)場合(ばあい)も、選挙権(せんきょけん)(おな)じように、だれが(かんが)えてもいけないと思われる(もの)には、被選挙権(ひせんきょけん)がありません。国会議員(こっかいぎいん)になろうとする(ひと)は、じぶんでとゞけて、「候補者(こうほしゃ)」というものになるのです。また、じぶんがよいと(おも)うほかの(ひと)を、「候補者(こうほしゃ)」としてとどけでることもあります。これを、候補者(こうほしゃ)を「推薦(すいせん)する」といいます。

この候補者(こうほしゃ)をとゞけでるのは、選挙(せんきょ)()のまえにしめきってしまいます。投票(とうひょう)をする(ひと)は、この候補者(こうほしゃ)(なか)から、じぶんのよいと(おも)(ひと)をえらばなければなりません。ほかの(ひと)名前(なまえ)()いてはいけません。そうして、投票(とうひょう)(かず)(おお)候補者(こうほしゃ)から、議員(ぎいん)になれるのです。それを「当選(とうせん)する」といいます。

みなさん、民主主義(みんしゅしゅぎ)は、国民(こくみん)ぜんたいで(くに)(おさ)めてゆくことです。そうして国会(こっかい)は、国民(こくみん)ぜんたいの代表者(だいひょうしゃ)です。それで、国会議員(こっかいぎいん)選挙(せんきょ)することは、国民(こくみん)大事(だいじ)権利(けんり)で、また大事(だいじ)なつとめです。国民(こくみん)はぜひ選挙(せんきょ)にでてゆかなければなりません。選挙(せんきょ)にゆかないのは、この大事(だいじ)権利(けんり)をすててしまうことであり、また大事(だいじ)なつとめをおこたることです。選挙(せんきょ)にゆかないことを、ふつう「棄権(きけん)」といいます。これは、権利(けんり)をすてるという意味(いみ)です。国民(こくみん)棄権(きけん)してはなりません。みなさんも、いまにこの権利(けんり)をもつことになりますから、選挙(せんきょ)のことは、とくにくわしく()いておいたのです。

国会(こっかい)は、このようにして、国民(こくみん)がえらんだ議員(ぎいん)があつまって、(くに)のことをきめるところですが、ほかの役所(やくしょ)とちがって、国会(こっかい)で、議員(ぎいん)が、(くに)仕事(しごと)をしているありさまを、国民(こくみん)()ることができるのです。国民(こくみん)はいつでも、国会(こっかい)へ行って、これを()たりきいたりすることができるのです。また、新聞(しんぶん)やラジオにも国会(こっかい)のことがでます。

つまり、国会(こっかい)での仕事(しごと)は、国民(こくみん)()(まえ)(おこ)われるのです。憲法(けんぽう)は、国会(こっかい)はいつでも、国民(こくみん)()れるようにして、仕事(しごと)をしなければならないときめているのです。これはたいへん大事(だいじ)なことです。もしまれな場合(ばあい)ですが、秘密(ひみつ)会議(かいぎ)(ひら)こうとするときは、むずかしい()つづきがいります。

これで、どういうふうに(くに)(おさ)められてゆくのか、どんなことが(くに)でおこっているのか、国民(こくみん)のえらんだ議員(ぎいん)が、どんな意見(いけん)国会(こっかい)でのべているかというようなことが、みんな国民(こくみん)にわかるのです。

(くに)仕事(しごと)(ただ)しい(あか)るいやりかたは、ここからうまれてくるのです。国会(こっかい)がなくなれば、(くに)(なか)がくらくなるのです。民主主義(みんしゅしゅぎ)(あか)るいやりかたです。国会(こっかい)は、民主主義(みんしゅしゅぎ)にはなくてはならないものです。

日本の国会(こっかい)は、年中(ねんじゅう)(ひら)かれているものではありません。しかし、毎年(まいとし)(かい)はかならず(ひら)くことになっています。これを「常会(じょうかい)」といいます。常会(じょうかい)は百五十日間(にちかん)ときまっています。これを国会(こっかい)の「会期(かいき)」といいます。このほかに、必要(ひつよう)のあるときは、臨時(りんじ)国会(こっかい)(ひら)きます。これを「臨時会(りんじかい)」といいます。また、衆議院(しゅうぎいん)解散(かいさん)されたときは、解散(かいさん)の日から四十日以内(にちいない)に、選挙(せんきょ)(おこな)い、その選挙(せんきょ)の日から三十日以内(にちいない)に、あたらしい国会(こっかい)(ひら)かれます。これを「特別会(とくべつかい)」といいます。臨時会(りんじかい)特別会(とくべつかい)会期(かいき)は、国会(こっかい)がじぶんできめます。また、国会(こっかい)会期(かいき)は、必要(ひつよう)のあるときには()ばすことができます。それも国会(こっかい)がじぶんできめるのです。国会(こっかい)(ひら)くには、国会議員(こっかいぎいん)をよび(あつ)めなければなりません。これを、国会(こっかい)を「召集(しょうしゅう)する」といって、天皇陛下(てんのうへいか)がなさるのです。召集(しょうしゅう)された国会(こっかい)は、じぶんで(ひら)いて仕事(しごと)をはじめ、会期(かいき)がおわれば、じぶんで国会(こっかい)()じて、国会(こっかい)一時(いちじ)(やす)むことになります。 みなさん、国会(こっかい)議事堂(ぎじどう)をごぞんじですか。あの(しろ)いうつくしい建物(たてもの)に、()(ひかり)がさしているのをごらんなさい。あれは日本(にほん)国民(こくみん)(ちから)をあらわすところです。主権(しゅけん)をもっている日本(にほん)国民(こくみん)(くに)(おさ)めてゆくところです。

九  政党(せいとう)

政党(せいとう)」というのは、(くに)(おさ)めてゆくことについて、(おな)意見(いけん)をもっている(ひと)があつまってこしらえた団体(だんたい)のことです。みなさんは、社会党(しゃかいとう)民主党(みんしゅとう)自由党(じゆうとう)国民協同党(こくみんきょうどうとう)共産党(きょうさんとう)などという名前(なまえ)を、きいているでしょう。これらはみな政党(せいとう)です。政党(せいとう)は、国会(こっかい)議員(ぎいん)だけでこしらえているものではありません。政党(せいとう)からでている議員(ぎいん)は、政党(せいとう)をこしらえている(ひと)一部(いちぶ)だけです。ですから、(ひと)つの政党(せいとう)があるということは、(くに)(なか)に、それと(おな)意見(いけん)をもった(ひと)が、そうとうおおぜいいるということになるのです。

政党(せいとう)には、(くに)(おさ)めてゆくについてのきまった意見(いけん)があって、これを国民(こくみん)()らせています。国民(こくみん)意見(いけん)は、(ひと)によってずいぶんちがいますが、(おお)きく()けてみると、この政党(せいとう)意見(いけん)のどれかになるのです。つまり政党(せいとう)は、国民(こくみん)ぜんたいが、(くに)(おさ)めてゆくについてもっている意見(いけん)を、(おお)きく色分(いろわ)けしたものといってもよいのです。民主主義(みんしゅしゅぎ)(くに)(おさ)めてゆくには、国民(こくみん)ぜんたいが、みんな意見(いけん)をはなしあって、きめてゆかなければなりません。政党(せいとう)がおたがいに(くに)のことを議論(ぎろん)しあうのはこのためです。

日本(にほん)には、この政党(せいとう)というものについて、まちがった(かんが)えがありました。それは、政党(せいとう)というものは、なんだか、(くに)(なか)で、じぶんの意見(いけん)をいいはっているいけないものだというような見方(みかた)です。これはたいへんなまちがいです。民主主義(みんしゅしゅぎ)のやりかたは、(くに)仕事(しごと)について、国民(こくみん)が、おおいに意見(いけん)をはなしあってきめなければならないのですから、政党(せいとう)(あらそ)うのは、けっしてけんかではありません。民主主義(みんしゅしゅぎ)でやれば、かならず政党(せいとう)というものができるのです。また、政党(せいとう)がいるのです。政党(せいとう)はいくつあってもよいのです。政党(せいとう)(かず)だけ、国民(こくみん)意見(いけん)が、(おお)きく分かれてると(おも)えばよいのです。ドイツやイタリアでは、政党(せいとう)をむりに(ひと)つにまとめてしまい、また日本(にほん)でも、政党(せいとう)をやめてしまったことがありました。その結果(けっか)はどうなりましたか。国民(こくみん)意見(いけん)自由(じゆう)にきかれなくなって、個人(こじん)権利(けんり)がふみにじられ、とうとうおそろしい戦争(せんそう)をはじめるようになったではありませんか。

国会(こっかい)選挙(せんきょ)のあるごとに、政党(せいとう)は、じぶんの団体(だんたい)から議員(ぎいん)候補者(こうほしゃ)を出し、またじぶんの意見(いけん)国民(こくみん)()らせて、国会(こっかい)でなるべくたくさんの議員(ぎいん)をえようとします。衆議院(しゅうぎいん)は、参議院(さんぎいん)よりも(おお)きな(ちから)をもっていますから、衆議院(しゅうぎいん)でいちばん(おお)議員(ぎいん)を、じぶんの政党(せいとう)から出すことが必要(ひつよう)です。それで衆議院(しゅうぎいん)選挙(せんきょ)は、政党(せいとう)にとっていちばん大事(だいじ)なことです。国民(こくみん)は、この政党(せいとう)意見(いけん)をよくしらべてじぶんのよいと(おも)政党(せいとう)候補者(こうほしゃ)投票(とうひょう)すれば、じぶんの意見(いけん)が、政党(せいとう)をとおして国会(こっかい)にとどくことになります。

どの政党(せいとう)にもはいっていないひとが、候補者(こうほしゃ)になっていることもあります。国民(こくみん)は、このような候補者(こうほしゃ)投票(とうひょう)することも、もちろん自由(じゆう)です。しかし政党(せいとう)には、きまった意見(いけん)があり、それは国民(こくみん)()らせてありますから、政党(せいとう)候補者(こうほしゃ)投票(とうひょう)しておけば、その(ひと)国会(こっかい)に出たときに、どういう意見(いけん)をのべ、どういう(ふう)にはたらくかということが、はっきりときまっています。もし政党(せいとう)候補者(こうほしゃ)でない(ひと)投票(とうひょう)したときは、その(ひと)国会(こっかい)()たとき、どういうふうにはたらいてくれるかが、はっきり()からないふべんがあるのです。このようにして、選挙(せんきょ)ごとに、衆議院(しゅうぎいん)(おお)議員(ぎいん)をとった政党(せいとう)意見(いけん)で、(くに)仕事(しごと)をやってゆくことになります。これは、いいかえれば、国民(こくみん)ぜんたいの(なか)で、(おお)いほうの意見(いけん)で、(くに)(おさ)めてゆくことでもあります。

みなさん、国民(こくみん)は、政党(せいとう)のことをよく()らなければなりません。じぶんのすきな政党(せいとう)にはいり、またじぶんたちですきな政党(せいとう)をつくるのは、国民(こくみん)自由(じゆう)で、憲法(けんぽう)は、これを「基本的人権(きほんてきじんけん)」としてみとめています。だれもこれをさまたげることはできません。

十  内閣(ないかく)

内閣(ないかく)」は、(くに)行政(ぎょうせい)をうけもっている機関(きかん)であります。行政(ぎょうせい)ということは、まえに(もう)しましたように、「立法(りっぽう)」すなわち(くに)規則(きそく)をこしらえることと、「司法(しほう)」すなわち裁判(さいばん)をすることをのぞいたあとの、(くに)仕事(しごと)をまとめていうのです。国会(こっかい)は、国民(こくみん)代表(だいひょう)になって、国を(おさ)めてゆく機関(きかん)ですが、たくさんの議員(ぎいん)でできているし、また一年中(いちねんじゅう)ひらいているわけにもゆきませんから、日常(にちじょう)仕事(しごと)やこまごました仕事(しごと)は、(べつ)役所(やくしょ)をこしらえて、ここでとりあつかってゆきます。その役所(やくしょ)のいちばん(うえ)にあるのが内閣(ないかく)です。

内閣(ないかく)は、内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)国務大臣(こくむだいじん)とからできています。「内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)」は内閣(ないかく)(ちょう)で、内閣(ないかく)せんたいをまとめてゆく、大事(だいじ)役目(やくめ)をするのです。それで、内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)にだれがなるかということは、たいへん大事(だいじ)なことですが、こんどの憲法(けんぽう)は、内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)は、国会(こっかい)議員(ぎいん)(なか)から、国会(こっかい)がきめて、天皇陛下(てんのうへいか)(もう)しあげ、天皇陛下(てんのうへいか)がこれをお(めい)じになることになっています。国会(こっかい)できめるとき、衆議院(しゅうぎいん)参議院(さんぎいん)意見(いけん)が分かれたときは、けっきょく衆議院(しゅうぎいん)意見(いけん)どおりにきめることになります。内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)国会(こっかい)できめるということは、衆議院(しゅうぎいん)でたくさんの議員(ぎいん)をもっている政党(せいとう)意見(いけん)で、きまることになりますから、内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)は、政党(せいとう)からでることになります。

また、ほかの国務大臣(こくむだいじん)は、内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)が、自分(じぶん)でえらんで国務大臣(こくむだいじん)にします。しかし、国務大臣(こくむだいじん)(かず)半分以上(はんぶんいじょう)は、国会(こっかい)議員(ぎいん)からえらばなければなりません。国務大臣(こくむだいじん)(くに)行政(ぎょうせい)をうけもつ役目(やくめ)がありますが、この国務大臣(こくむだいじん)(なか)から、大蔵省(おおくらしょう)文部省(もんぶしょう)厚生省(こうせいしょう)通商産業省(つうしょうさんぎょうしょう)などの(くに)役所(やくしょ)(ちょう)になって、その役所(やくしょ)仕事(しごと)()けてうけもつ(ひと)がきまります。これを「各省大臣(かくしょうだいじん)」といいます。つまり国務大臣(こくむだいじん)(なか)には、この各省大臣(かくしょうだいじん)になる(ひと)と、ただ(くに)仕事(しごと)ぜんたいをみてゆく国務大臣(こくむだいじん)とがあるわけです。内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)政党(せいとう)からでる以上(いじょう)国務大臣(こくむだいじん)もじぶんと(おな)政党(せいとう)(ひと)からとることが、(くに)仕事(しごと)をやってゆく(うえ)でべんりでありますから、国務大臣(こくむだいじん)大部分(だいぶぶん)が、(おな)政党(せいとう)からでることになります。

また、(ひと)つの政党(せいとう)だけでは、国会(こっかい)自分(じぶん)意見(いけん)をとおすことができないと(おも)ったときは、意見(いけん)のちがうほかの政党(せいとう)()んで内閣(ないかく)をつくります。このときは、それらの政党(せいとう)から、みな国務大臣(こくむだいじん)がでて、いっしょに、(くに)仕事(しごと)をすることになります。また政党(せいとう)(ひと)でなくとも、(くに)仕事(しごと)(あか)るい(ひと)を、国務大臣(こくむだいじん)に入れることもあります。しかし、民主主義(みんしゅしゅぎ)のやりかたでは、けっきょく政党(せいとう)内閣(ないかく)をつくることになり、政党(せいとう)から内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)国務大臣(こくむだいじん)のおおぜいがでることになるので、これを「政党内閣(せいとうないかく)」というのです。

内閣(ないかく)は、(くに)行政(ぎょうせい)をうけもち、また、天皇陛下(てんのうへいか)(くに)仕事(しごと)をなさるときには、これに意見(いけん)(もう)しあげ、また、御意見(ごいけん)(もう)します。そうしてじぶんのやったことについて、国民(こくみん)代表(だいひょう)する国会(こっかい)にたいして、責任(せきにん)()うのです。これは、内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)も、ほかの国務大臣(こくむだいじん)も、みないっしょになって、責任(せきにん)()うのです。ひとりひとりべつべつに責任(せきにん)()うのではありません。これを「連帯(れんたい)して責任(せきにん)()う」といいます。

また国会(こっかい)のほうでも、内閣(ないかく)がわるいと(おも)えば、いつでも「もう内閣(ないかく)信用(しんよう)しない」ときめることができます。たゞこれは、衆議院(しゅうぎいん)だけができることで、参議院(さんぎいん)はできません。なぜならば国民(こくみん)のその時々(ときどき)意見(いけん)がうつっているのは、衆議院(しゅうぎいん)であり、また、選挙(せんきょ)のやり(なお)しをして、内閣(ないかく)が、国民(こくみん)に、どっちがよいかをきめてもらうことができるのは、衆議院(しゅうぎいん)だけだからです。衆議院(しゅうぎいん)内閣(ないかく)にたいして、「もう内閣(ないかく)信用(しんよう)しない」ときめることを、「不信任決議(ふしんにんけつぎ)」といいます。この不信任決議(ふしんにんけつぎ)がきまったときは、内閣(ないかく)天皇陛下(てんのうへいか)(もう)しあげ、十日以内(とうかいない)衆議院(しゅうぎいん)解散(かいさん)していただき、選挙(せんきょ)のやり(なお)しをして、国民(こくみん)にうったえてきめてもらうか、または辞職するかどちらかになります。また「内閣(ないかく)信用(しんよう)」ということ(これを「信任決議(しんにんけつぎ)」といいます)が、衆議院(しゅうぎいん)反対(はんたい)されて、だめになったときも(おな)じことです。

このようにこんどの憲法(けんぽう)では、内閣(ないかく)国会(こっかい)とむすびついて、国会(こっかい)直接(ちょくせつ)(ちから)(うご)かされることになっており、国会(こっかい)政党(せいとう)勢力(せいりょく)変化(へんか)で、かわってゆくのです。つまり内閣(ないかく)は、国会(こっかい)支配(しはい)(もと)にあることになりますから、これを「議院内閣制度(ぎいんないかくせいど)」とよんでいます。民主主義(みんしゅしゅぎ)と、政党内閣(せいとうないかく)と、議院内閣(ぎいんないかく)とは、ふかい関係(かんけい)があるのです。

十一  司法(しほう)

司法(しほう)」とは、(あらそ)いごとをさばいたり、(つみ)があるかないかをきめることです。「裁判(さいばん)」というのも(おな)じはたらきをさすのです。だれでも、自分(じぶん)生命(せいめい)自由(じゆう)財産(ざいさん)などを(まも)るために、公平(こうへい)裁判(さいばん)をしてもらうことができます。この司法(しほう)という(くに)仕事(しごと)は、国民(こくみん)にとってたいへん大事(だいじ)なことで、(なに)よりもまず、公平(こうへい)にさばいたり、きめたりすることがたいせつであります。そこで(くに)には、「裁判所(さいばんしょ)」というものがあって、この司法(しほう)という仕事(しごと)をうけもっているのです。 裁判所(さいばんしょ)は、その仕事(しごと)をやってゆくについて、ただ憲法(けんぽう)国会(こっかい)のつくった法律(ほうりつ)とにしたがって、公平(こうへい)裁判(さいばん)をしてゆくものであることを、憲法(けんぽう)できめております。ほかからは、いっさい口出(くちだ)しをすることはできないのです。また、裁判(さいばん)をする役目(やくめ)をもっている(ひと)、すなわち「裁判官(さいばんかん)」は、みだりに役目(やくめ)()りあげられないことになっているのです。これを「司法権(しほうけん)独立(どくりつ)」といいます。また、裁判(さいばん)公平(こうへい)にさせるために、裁判(さいばん)は、だれでも見たりきたりすることができるのです。これは、国会(こっかい)(おな)じように、裁判所(さいばんしょ)仕事(しごと)国民(こくみん)()(まえ)で行われるということです。これも憲法(けんぽう)ではっきりときめてあります。

こんどの憲法(けんぽう)で、ひじょうにかわったことを(ひと)(もう)しておきます。それは、裁判所(さいばんしょ)は、国会(こっかい)でつくった法律(ほうりつ)が、憲法(けんぽう)()っているかどうかをしらべることができるようになったことです。もし法律(ほうりつ)が、憲法(けんぽう)にきめてあることにちがっていると(かんが)えたときは、その法律(ほうりつ)にしたがわないことができるのです。だから裁判所(さいばんしょ)は、たいへんおもい役目(やくめ)をすることになりました。

みなさん、(わたし)たち国民(こくみん)は、国会(こっかい)を、じぶんのかわりをするものと思って、しんらいするとともに、裁判所(さいばんしょ)を、じぶんたちの権利(けんり)自由(じゆう)(まも)ってくれるみかたと思って、尊敬(そんけい)しなければなりません。

十二  財政(ざいせい)

みなさんの家に、それぞれくらしの立てかたがあるように、(くに)にもくらしの()てかたがあります。これが(くに)の「財政(ざいせい)」です。(くに)(おさ)めてゆくのに、どれほど費用(ひよう)がかゝるか、その費用(ひよう)をどうしてとゝのえるか、ととのえた費用(ひよう)をどういうふうにつかってゆくかというようなことはみな(くに)財政(ざいせい)です。(くに)費用(ひよう)は、国民(こくみん)()さなければなりませんし、また、(くに)財政(ざいせい)がうまくゆくかゆかないかは、たいへん大事(だいじ)なことですから、国民(こくみん)ははっきりこれを()り、またよく監督(かんとく)してゆかなければなりません。

そこで憲法(けんぽう)では、国会(こっかい)が、国民(こくみん)()わって、この監督(かんとく)役目(やくめ)をすることにしています。この監督(かんとく)方法(ほうほう)はいろいろありますが、そのおもなものをいいますと内閣(ないかく)は、毎年(まいとし)いくらお(かね)がはいって、それをどういうふうにつかうかという()つもりを、国会(こっかい)()して、きめてもらわなければなりません。それを「予算(よさん)」といいます。また、つかった費用(ひよう)は、あとで計算(けいさん)して、また国会(こっかい)()して、しらべてもらわなければなりません。これを「決算(けっさん)」といいます。国民(こくみん)から税金(ぜいきん)をとるには、国会(こっかい)()して、きめてもらわなければなりません。内閣(ないかく)は、国会(こっかい)国民(こくみん)にたいして、(すく)なくとも毎年(まいとし)(かい)(くに)財政(ざいせい)が、どうなっているかを、()らさなければなりません。このような方法(ほうほう)で、(くに)財政(ざいせい)が、国民(こくみん)国会(こっかい)とで監督(かんとく)されてゆくのです。

また「会計検査院(かいけいけんさいん)」という役所(やくしょ)があって、(くに)決算(けっさん)検査(けんさ)しています。

十三  地方自治(ちほうじち)

戦争中(せんそうちゅう)は、なんでも「(くに)のため」といって、国民(こくみん)のひとりひとりのことが、かるく(かんが)えられていました。しかし、(くに)国民(こくみん)のあつまりで、国民(こくみん)のひとりひとりがよくならなければ、(くに)はよくなりません。それと(おな)じように、日本(にほん)(くに)は、たくさんの地方(ちほう)に分かれていますが、その地方(ちほう)が、それぞれさかえてゆかなければ、(くに)はさかえてゆきません。そのためには、地方(ちほう)が、それぞれじぶんでじぶんのことを(おさ)めてゆくのが、いちばんよいのです。なぜならば、地方(ちほう)には、その地方(ちほう)のいろいろな事情(じじょう)があり、その地方(ちほう)()んでいる(ひと)が、いちばんよくこれを()っているからです。じぶんでじぶんのことを自由(じゆう)にやってゆくことを「自治(じち)」といいます。それで(くに)地方(ちほう)ごとに、自治(じち)でやらせてゆくことを、「地方自治(ちほうじち)」というのです。

今度(こんど)憲法(けんぽう)では、この地方自治(ちほうじち)ということをおもくみて、これをはっきりきめています。地方(ちほう)ごとに(ひと)つの団体(だんたい)になって、じぶんでじぶんの仕事(しごと)をやってゆくのです。東京都(とうきょうと)北海道(ほっかいどう)府県(ふけん)市町村(しちょうそん)など、みなこの団体(だんたい)です。これを「地方公共団体(ちほうこうきょうだんたい)」といいます。

もし(くに)仕事(しごと)のやりかたが、民主主義(みんしゅしゅぎ)なら、地方公共団体(ちほうこうきょうだんたい)仕事(しごと)のやりかたも民主主義(みんしゅしゅぎ)でなければなりません。地方公共団体(ちほうこうきょうだんたい)は、(くに)のひながたといってもよいでしょう。(くに)国会(こっかい)があるように、地方公共団体(ちほうこうきょうだんたい)にも、その地方(ちほう)()(ひと)代表(だいひょう)する「議会(ぎかい)」がなければなりません。また、地方公共団体(ちほうこうきょうだんたい)仕事(しごと)をする知事(ちじ)や、その(ほか)のおもな役目(やくめ)(ひと)も、地方公共団体(ちほうこうきょうだんたい)議会(ぎかい)議員(ぎいん)も、みなその地方(ちほう)()(ひと)が、じぶんで選挙(せんきょ)することになりました。

このように地方自治(ちほうじち)が、はっきり憲法(けんぽう)でみとめられましたので、ある(ひと)つの地方公共団体(ちほうこうきょうだんたい)だけのことをきめた法律(ほうりつ)を、、(くに)国会(こっかい)でつくるには、その地方(ちほう)()(ひと)意見(いけん)をきくために、投票(とうひょう)をして、その投票(とうひょう)半分(はんぶん)以上の賛成(さんせい)がなければできないことになりました。

みなさん、(くに)(あい)(くに)につくすように、じぶんの()んでいる地方(ちほう)地方(ちほう)(あい)し、自分の地方(ちほう)のためにつくしましょう。地方(ちほう)のさかえは(くに)のさかえと思ってください。

十四  改正(かいせい)

改正(かいせい)」とは、憲法(けんぽう)をかえることです。憲法(けんぽう)は、(まえ)にも(もう)しましたように、(くに)規則(きそく)(なか)でいちばん大事(だいじ)なものですから、これをかえる()つづきは、げんじゅうにしておかなければなりません。

そこでこんどの憲法(けんぽう)では、憲法(けんぽう)改正(かいせい)するときには、国会(こっかい)だけできめずに、国民(こくみん)賛成(さんせい)反対(はんたい)かを投票(とうひょう)してきめることにしました。

まず、国会(こっかい)(ふた)つの議員(ぎいん)で、全体(ぜんたい)の三(ぶん)の二以上(いじょう)賛成(さんせい)で、憲法(けんぽう)をかえることをきめます。これを、憲法(けんぽう)改正(かいせい)の「発議(はつぎ)」というのです。それからこれを国民(こくみん)(しめ)して、賛成(さんせい)反対(はんたい)かを投票(とうひょう)してもらいます。そうしてぜんぶの投票(とうひょう)半分以上(はんぶんいじょう)賛成(さんせい)したとき、はじめて憲法(けんぽう)改正(かいせい)国民(こくみん)承知(しょうち)したことになります。これを国民(こくみん)の「承認(しょうにん)」といいます。国民(こくみん)承認(しょうにん)した改正(かいせい)は、天皇陛下(てんのうへいか)国民(こくみん)()で、これを(くに)発表(はっぴょう)されます。これを改正(かいせい)の「公布(こうふ)」といいます。あたらしい憲法(けんぽう)は、国民(こくみん)がつくったもので、国民(こくみん)のものですから、これをかえたときも、国民(こくみん)名義(めいぎ)発表(はっぴょう)するのです。

十五  最高法規(さいこうほうき)

このおはなしのいちばんはじめに(もう)しましたように、「最高法規(さいこうほうき)」とは、(くに)で、いちばん(たか)(くらい)にある規則(きそく)で、つまり憲法(けんぽう)のことです。この最高法規(さいこうほうき)としての憲法(けんぽう)には、(くに)仕事(しごと)のやりかたをきめた規則(きそく)と、国民(こくみん)基本的人権(きほんてきじんけん)をきめた規則(きそく)と、(ふた)つあることもおはなししました。この(なか)で、国民(こくみん)基本的人権(きほんてきじんけん)は、これまでかるく(かんが)えられていましたので、憲法(けんぽう)(だい)九十七(じょう)は、おごそかなことばで、この基本的人権(きほんてきじんけん)は、人間(にんげん)がながいあいだ(ちから)をつくしてえたものであり、これまでいろいろのことにであってきたえあげられたものであるから、これからもけっして(おか)すことのできない永久(えいきゅう)権利(けんり)であると()しております。

憲法(けんぽう)は、(くに)最高法規(さいこうほうき)ですから、この憲法(けんぽう)できめられてあることにあわないものは、法律(ほうりつ)でも、命令(めいれい)でも、なんでも、いっさい規則(きそく)としての(ちから)がありません。これも憲法(けんぽう)がはっきりきめています。

このように大事(だいじ)憲法(けんぽう)は、天皇陛下(てんのうへいか)もこれをお(まも)りになりますし、国務大臣(こくむだいじん)も、国会(こっかい)議員(ぎいん)も、裁判官(さいばんかん)も、みなこれを(まも)ってゆく義務(ぎむ)があるのです。また、日本(にほん)(くに)が、ほかの(くに)ととりきめた約束(やくそく)(これを「条約(じょうやく)」といいます)も、(くに)(くに)とが交際(こうさい)してゆくについてできた規則(きそく)(これを「国際法規(こくさいほうき)」といいます)も、日本(にほん)(くに)は、まごころから(まも)ってゆくということを、憲法(けんぽう)できめました。

みなさん、あたらしい憲法(けんぽう)は、日本国民(にほんこくみん)がつくった、日本国民(にほんこくみん)憲法(けんぽう)です。これからさき、この憲法(けんぽう)(まも)って、日本(にほん)(くに)がさかえるようにしてゆこうではありませんか。


「あたらしい憲法のはなし」について

XHTML1.0検証済 CSS検証済